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SAGA2024国スポ・全障スポ 相撲豆知識(7)

印刷用ページを表示する更新日:2022年12月1日更新

今回は、相撲の歴史についてご紹介します。

相撲の歴史は非常に古く、『日本書紀』によると紀元前の話になります。約2700年前垂仁(すいにん)天皇の時代、の宿禰(のみのすくね)(出雲の国・今の島根県出身)と大麻の蹴速(たいまのけはや)(大和の国・今の奈良県出身)の力比べがその始まりといわれています。その頃の相撲は領土の奪い合いのための手段でしかなく、「天皇は勝った宿禰に蹴速の領土を取り上げ与えた」と記述されています。

 以後、日本は天皇を中心とした時代が続きます。時の天皇は、農作物の収穫を占うためや外国(朝鮮・中国・モンゴル等)からの使者をもてなすために、国内の力自慢を集めて相撲を取らせていました。これを「天覧相撲(てんらんずもう)といいます。近年では特に昭和天皇が相撲に非常に興味を持たれ、大相撲や国民体育大会の相撲競技をよく観戦されていたというのは有名な話です。

 鎌倉時代あたりから日本は戦国時代に突入し、武士が権力を持つようになってきます。当時の武将は自分の家来を少しでも強くする必要があり、力自慢を集め盛んに相撲を取らせ、勝ち抜いた強い力士を家臣として召し抱えていました。このように武士の戦闘訓練として開催された相撲を「上覧相撲(じょうらんずもう)といいます。なかでも織田信長は数多く上覧相撲を開催していたとされています。

 江戸時代になると世の中は天下泰平。家来の戦意高揚を図る必要がなくなり、相撲は大衆の娯楽として見せる興行へと変化していきます。それと同時に、これまでは人垣が土俵であったものが俵の土俵に変わります。きちんとしたルールもでき、木戸銭(きどせん)いわゆる入場料を取って力士に分け与えるようになり、現在の大相撲の基礎が出来上がりました。 

 明治・大正・昭和の時代になると、日本は日清・日露・太平洋といった戦争の時代に突入します。富国強兵が国策となり、国民の体力増強の一環として各小学校に土俵を作り子どもたちに体育の授業として相撲を取らせました。アマチュア相撲の始まりです。それまでは、プロいわゆる職業としての相撲しかなかったものが一般のアマチュアの人が相撲を楽しむようになり、国民の相撲熱に火が付きました。その変革の中心人物がNHKの大河ドラマ「いだてん」で紹介された講道館柔道の創始者嘉納治五郎(かのうじごろう)です。彼の教えの基本は「品格」と「礼節」で、その心は現在でも相撲道の中に生きています。日本人としてどう生きるべきかを考えさせるもので、ここに「国技相撲」といわれる所以(ゆえん)ではないでしょうか。