本文
値賀 長
印刷用ページを表示する更新日:2018年4月1日更新
値賀伊勢守長のことで波多三河守親の第二子、値賀城主。安土桃山時代の慶長二年、共に荒廃した値賀神社を、次いで普恩寺を再建した。また民事に心を用い荒地の開拓、農事の開発に務めた。中通地区に「おたっちょ様」があり、唐津市龍源寺にもそれぞれ供養塔がある。江戸時代に至り、値賀氏は所領の天草に移住した。元和元年(一六一五)没
おたっちょ様
値賀伊勢守長のことで波多三河守親の第二子、値賀城主。安土桃山時代の慶長二年、共に荒廃した値賀神社を、次いで普恩寺を再建した。また民事に心を用い荒地の開拓、農事の開発に務めた。中通地区に「おたっちょ様」があり、唐津市龍源寺にもそれぞれ供養塔がある。江戸時代に至り、値賀氏は所領の天草に移住した。元和元年(一六一五)没
おたっちょ様